毒親、モラハラDV夫を退治するブログ

毒親育ち、モラハラDV夫もちの30代女性が逆転するまで  twitter: lk_lemonk

祖父母のうち誰がモラだったのか

今日は祖父母の話です。

 

モラハラ体質(自己愛性人格障害)は、後天的に発生する障害だと思われます。

養育者がモラ(後天的要素)で、子に(先天的な)素質があれば

合わせ技で発生する障害かと思われます。

 

ここを読んでおられる皆様も、親のどっちかまたは両方がモラ、

または、自分はモラ実家じゃないけど

モラハラ配偶者の親がモラ・・・というケースが多いかと思います。

 

で、そんなモラ体質な親=毒親もまた、毒親育ちなわけです。

こうして縄文時代とかから連綿と受け継がれていると思うと感慨深いですねww

ロマンを感じますw

 

私は

母=毒親モラハラ体質)

父=被害者体質

という家で育ちました。

当然、両親もそれぞれモラ育ちかと思います。

しかし私は、両方の祖父母から、モラは受けませんでした(珍しいケースかも?)

両方の祖父母とも、私の事はとてもかわいがってくれて、よく小遣いをくれました(笑)

なので、長らく…Joeメソッドを知るまで、祖父母の誰かがモラという考えには思い至りませんでした。

今日はこれについて考察してみたいと思いますw

 

今振り返ると、両祖父母ともモラはいましたww

ではなぜ、こんなにモラホイホイ体質の私はモラされなかったのか?

答えは、「たまたま父母とも、愛玩子だったから」じゃないかと。

 

 

①母方の祖父母→ 祖母がモラ。祖父は被害者体質

祖父はゴリゴリの毒育ちです。父が酒乱DVだったそうw

生みの母は祖父を産んですぐ追い出され、一生会えなかったそうです。

すぐきた後妻(継母)にもだいぶ精神的にいびられたそうです。でモラ嫁と結婚w

祖母はオカルト好きのモラです。水に罵声をあびせたら腐る!みたいな本をよく買ってましたw オカルト系で娘を脅して育てたようです。

祖母は娘と息子の2人の子供を産み、娘(私の母)には過干渉モラ、息子(叔父)には放置モラをしたみたいです。

息子は放置されてかえってよかったそうですw

娘への過干渉モラはすさまじく、娘の結婚式に自分の友達を十数人も呼んだとか…(40年前ってそんなことがよくあったんでしょうか!?)

孫の名前も全員、祖母が決めました。

息子の嫁には、なんと、「画数が悪いから結婚するなら改名してくれ」と条件を出したそうですwww 叔母さんよく逃げなかったな。

とはいえ、娘は愛玩子だったようで、祖母は明らかな孫差別をしていました。

娘(私の母)のほうの孫たちには「顔が可愛い、頭がいい」という発言をし、

息子(叔父)のほうの孫たちには「顔が微妙、頭が悪い」といつも言っていました。

私は褒められる側でしたが、いつも(なんでそんな事を言うんだろう?イトコちゃんたち可愛いのに…)と思い、祖母に「そんなこと言ったらいけないよ」と注意していました。祖母は「いいや、あの子たちは…」と聞く耳もたずエンドレスリピート。

 この母方祖父母カップルは、いつ訪ねても口喧嘩をしていました。…というふうに孫の私には見えていました。実際は祖父がモラされていたんでしょうね、きっと。

「モラに言い返してしまうと、第三者にはごく普通の夫婦喧嘩に見えてしまう」(=裁判所等にモラ録音を提出するときは、言い返してないものを出すこと!)という私の格言(?)はこの経験から来ています…

 

祖父を産んですぐ追い出されてしまった曾祖母は、その後2回も結婚して子供を3人産んだそうですが、やはり結婚相手はモラハラだったみたいです。。。いま遺産相続の話がきて、うちの母を含めたモラ同士で揉めてます(笑)

曾祖母はきっと被害者体質で大変だっただろうな、最初に産んだ子に会えなくてつらかったろうな、と思うとしんみりします。

祖父は母親に捨てられたというトラウマを最期まで持ち続けていました。きっと曾祖母も会いたかったけど、90年前の時代だし、モラ元夫に邪魔されたんだろうな。気の毒。

 

②父方の祖父母

こっちはちょっと分かりづらいです。

祖母がモラかもしれない。かといって祖父は被害者体質じゃないんですが…

祖母はモラ以前に、たぶん発達障害系の変わり者だったんですよね…

あと極度の面倒くさがり。放置タイプ。

息子(私の父)が小学生の頃に盲腸になって緊急手術を受けたんですが、

術後のつきそいをせず、忙しいから、どうせ今夜は入院だからと祖母は息子を病院において何も言わず帰ってしまったそうです。

麻酔からさめた父は誰も家族がいないのでパニックになり、病院でおかあさーん!!と泣いたとか。祖母いわく「後で知って、悪いことしたなと思った」そう。

 

親戚内での祖母の評判は悪いです。

「意地悪を言われた」系の文句が多いです。

しかし、発達障害っぽい率直すぎる感想なのか、悪意のモラなのか判別が難しい。

私の事はめちゃくちゃ可愛がっていたので、あまりピンときません。

孫差別らしきものはありました。

父には妹(叔母)がいて、そっち側にも孫が2人いるのですが、

なんと私はその孫…つまりイトコにこの歳まで会ったことがありませんw1度も!

祖父母自体が叔母夫婦を敬遠していて、ほとんど会わないそうです。

ちなみに叔母の嫁ぎ先はどう聞いてもモラ一家ですw

祖父の葬儀にもイトコは来なかったので、イトコ達と私は一生会うことはなさそうです。

離婚調停② これがモラオの誤魔化しテクニックだ!!

こんにちは。

調停行ってきました~。

今回は初めての裁判所。物珍しくてキョロキョロしてたら弁護士さんに「裁判所は初めてですか?」と言われたので

「いや普通に生きてたら来る機会ないっすwww」とツッコミを入れつつスタートしました。

 

今回は調停前までに財産をお互いに開示する手はずだったのですが、

モラオのモラハラテクニック炸裂!!

 

・〆切を過ぎても出してこない

・やっと出してきたのは、なぜか黒焦げのようにコピーつぶれた不明瞭なもの

・通帳6冊あるのに3冊しか出してこない

・残りの3冊はどうしました?の質問には答えず、

・面会の不満ばかりをまくしたてる

 

という内容に終始しました。

モラオは最初〆切になっても財産開示してこなかったのですが、

私はモラオの定期預金を全てコピーして家を出たのでw、〆切後に弁護士さんがこっちから6冊分提出。

そしたらモラオがやっと(黒に近い汚いコピーの)3冊分を提出。

という感じでした。

すげぇな・・・証拠は上がってるのに半分で押し通そうとしてるのがすげぇwwww

 

調停員はモラではなさそうですが、夫の勢いに押され&面会原理主義のため、

通帳のことも不倫のことも聞いてくれませんww

ひたすら面会どうしますか?調整してみて下さい、ということで終わりました。

なんであんなに面会原理主義なんですかね、DVなのに。本当に世間ってのは融通がきき

ません。

 

まあ、やはり調停で成立しそうにはないなぁ。

モラオは永遠に面会の話しかしないつもりなんでしょう。

その心は?

 

「(ウイルス禍で)面会の不満を責めておけば、永遠に離婚は成立しないモラ~!(́◉◞౪◟◉)

 

です。ww

 

モラオという生物は、無意識では絶対離婚したくないですからね。

変化が怖い、ターゲット(麻薬)を手放すのが怖い、決断が嫌い だからです。

ただし調停開始から何年も経って飽きてきたり、新たなターゲットを確保できれば離婚は成立します。

やはりコンピをもらいつつ、適当なところで調停を切り上げて訴訟にするしかないですね。

 

試しに、次回の調停は休んでみようかなあと思います(笑)

行っても行かなくても変わんないし。。。

調停を欠席してみる・・・Joeメソッド仲間さんから教わったテクニックです。

モラオは次々回真似して休むかもですが、まあモラオ来ても来なくても変わんないし。。。

コンピで訴訟費用を貯めますか。

 

=========

そういえば、この前の面会でモラオの攻撃が強まったことがありました。

面会の日にこちら側に少しトラブルがあって予定してた場所や時間がズレたのですが、

モラオはここぞとばかりに「面会を月4回に増やせ!!毎週だ!!」と

ワーワーまくしたててきました。

弁護士さんも「また直接面会の要求が始まりますね…」とため息をついていたんですが、

遠隔Joeメソッドでおさめることができました!!

方法は

・不規則な動きをする(例:時間に正確なはずの妻が面会に遅刻)

・不真面目な動きをする(例:マジメなはずの妻が調停を欠席)

です。

上にも書いた、SNSのメソッド仲間さんに教えてもらいました。

Joeメソッドもリモートの時代ですね!!ww(※関係ない

 

今までは面会の開始時間にキッチリ始めていたのですが、

わざと数分早く始めたり、数分遅刻してみたりしました。

たったこれだけですが、モラオは慌ててましたww

そして月4回の要求は急になかったことになり、おとなしくなりました。

 

リモートメソッドすげぇ!!

別居中の方はお試しください。

ではまた…。

離婚や別居をお考えの方へ(別居体験談まとめ①

別居が落ち着いて、ふと思い出したんで書きます。

いまモラハラを受けていて、別居や離婚の2文字がちらつくけど、何していいか分かんないしそんなことできるか分かんないし踏み出せない人向けの体験談です。

 

・役所や警察のDV相談

・住居(シェアハウス、母子寮)

 

【DV相談の体験談】

いまやどこの市町村にも、DV相談窓口はあります。あるはずです。

あと、「県」単位でも窓口があります。

私の体験では、「県」と「市町村」は直接はつながってないらしいですwなんだそりゃ。 なんか、プライバシー保護の観点から共有できないそうです。元締めというか管轄が違うからなんでしょうね。ザお役所。

両方行き、両方で同じ話をしてきましたw

 

とりま役所のDV相談窓口に行くと、係の人とか心理士さんとか婦人相談員とかが個室で話を聞いてくれます。

たまに、この相談員自体がモラハラだったりすることがあるらしいので、気を付けて下さいね。モラはどこにでもいる…。(「あなたも悪いんじゃない?」「大したことないでしょ?」とか言われて傷つけられるらしいです)

私はモラ相談員には当たりませんでした。

相談すると、係の人がノートに相談内容を手書きで書きます。

なお、相談に行った日時を自分でも手帳等にメモしておくとスムーズです。

繰り返し相談に行ったり、のちにDV保護命令や住民票閲覧制限をかける場合、役所にお願いする必要があるんですが、相談履歴(ノート)をすぐに探せないらしく、

毎回「いつごろ相談に来ましたか?」と聞かれますwwwwwww

名前で検索できるようなデータにしてないんですねぇ。アナログ~…

 

さて、DV相談では、係の人が(まともなら)遮らずフンフン話を聞いてくれ、

「それはひどいですね」「つらかったですね」と言い、

「それで、どうしますか?」と聞いてきます。

 

いや、モラハラDV被害者はそんな決定力ないからwww

ないからモラハラDV受けてるからwww

どうしていいかわからないから来てるからwwww

…と今は思うんですがw、

まあ、しょせんお役所仕事です。

おそらく、被害が相当ひどい場合=骨折や入院するほどのDV、お金ない、日常生活を送れないぐらい心を病んでいる場合…にはシェルターとか勧められるんでしょう。

でもそこまで壊れてない大半の被害者は、

「え、どうするって言われても…」ってなります。

・・・

なりますが、でも相談履歴を残しておくと、いざというとき警察等の対処がスムーズです。

いざという時とは…モラオのモラハラDVがエスカレートし、警察沙汰になった時です。

モラハラDVは必ずエスカレートします。警察沙汰が明日か5年後か20年後かは分かりませんが、1回ぐらいなる可能性は高いです。

そうした時に、モラオは非常に上手に嘘をつきます。警察官は騙され…ますが、こっちの相談履歴があれば、騙されないでこっちの味方になる可能性がグンと上がります。悔しい思いをせずに済みます。

なので、まだ離婚の決心がつかない人も、離婚しないかもって人も、ぜひ行っておきましょう。

 まだ行動する決心がつかない場合は、そのように伝えれば、色々な行政サービスの案内だけ教えてもらってDV相談は終わりです。

 

 

また、警察の生活安全課という所でDVに対処しています。

役所相談のあと、紹介してもらって行きました。

警察では、緊急110番登録/経過観察の電話/モラオへの注意/もっと強いと保護命令など ができるようで、自分の希望で対処を選べます。

希望しない限り、相談したことをモラオにバラされることはありません。

警察もたいして真剣にやってるわけじゃなく、相談すると、月に1度「ご主人どうですか?」と経過観察の電話をかけてきます。半年それを続けて、次の暴力がなければ「とりあえず終了しますね~」と言っておわり。

おわりです。

でも、やはり有事に備えて相談しておくと良いと思います。

 

なお、「警察からモラオに注意してもらって同居を続ける」とどうなるでしょうか?

案外、モラオはチクりに怒りません。1週間か1か月か、おとなしいでしょう。

でも。

モラの嫌な習性・・・マネをします。

つまり、何かの時に「警察を呼んでやる!」と言い出し、警察に先に(虚偽を)チクるのです。妻がモラハラだ!DVだ!と覚えた単語を振りかざします。

警察官は高圧的ですし、モラオは嘘が上手だし、非常に疲れます。

 

 

【住居の体験談】

特に子持ちの方は、別居や離婚しようにも住居の問題が大きいと思います。

実家がいいところで親も元気だったら実家に帰ればいいんですが、

実家が毒親だったり、親がもう亡くなっていたり、高齢や病気や介護や賃貸で、帰れる家自体がない人もいますよね~。私もそうです。

いまは賃貸に落ち着きましたが、色々と経てきました。

 

そういや、役所や警察は二言目には「友達の家とかに避難できませんか?」と聞いてきますw

子連れで受け入れてくれるそんな存在がいたらココに来てねえよwwwwwとデカい声で言いたいですww

まあ結局本音としては「自分で解決しろよ」なんですよね(^^;)

 

さて、えっと、私が体験&見学したのは

1.シングルマザー用シェアハウス

2.親類や知人宅への居候

3.母子寮の見学

4.マンスリーマンション(アパート)

5.仕事なし状態で賃貸を探す!!

あたりですね。

 

DVシェルターは行っておりません。

ネットで見かけた範囲&窓口で聞いた話では、DVシェルターに行くと、スマホその他の通信機器は没収され、1週間~1か月程度の滞在期間で仕事と家探しと弁護士探し(離婚準備)を手伝ってもらう という場所のようです。

DVシェルターの滞在費用は無料。3食ご飯が出るが、外出は制限され、買い物も付き添いをつけられる。幼児連れだとこのへんがなかなかキビしそうです。

誰かと自由に会うことはできないそうですね。

でも思考能力が極端に落ちている・元々乏しい人にはよい制度かと思います。ほんとに世の中にはいろんな人がいますよね…ウム…

 

さて

1.シングルマザー用シェアハウス

 「マザーポート」というサイトで見つけました。家賃は安かったり逆に高かったり色々。ただ数自体はとても少ないです。

私は諸事情で、つなぎとして1か月だけ滞在しました。貸主さんはとてもいい人でしたが、なんか変なモラ独身女が住んでて、女郎蜘蛛のようにシングルマザーを待ち構えてましたw こどものしつけがなってないとのいちゃもんモラをしてきました。まあ無視だけだったんで、こっちもメソッドで透明人間扱いするだけで終わりましたが…

 本格的に住むには、運試し要素が大きいかと思います。というのは、子連れ…残念ながらその子供さんがモラ化している場合が問題になるようです。モラハラ家庭で育つと、残念ながらガチャ確率(元々の素質)で子供がモラハラ化する場合があります。

JOEさんによると、「素養を持っている」人間が、1~2歳ごろにモラハラを受けた場合に開花し真性モラになっちゃうそうです。私の弟とかコレです。ていうかモラオも毒母も元はこういうことですね。私やあなたのように、素養を持っていない場合は被害者体質になるか、またはヤンデレになります。

 いい人たちしか住んでなければ、シェアハウスもいい手かと思います。検索してみてはどうでしょうか。

 

2.親類や知人宅への居候

 ケースバイケースですね。長居はできません。

 

3.母子寮の見学

 これはなかなか体験できない事ですよね。見れて楽しかったですw

私の住んでいる市には5-6カ所あるのですが、うち2カ所を見れました。

どこも、家賃は無料。光熱費など実費はかかるようです(ただし所得によるみたい)。寮長やスタッフが常駐していて、常に見張ら・・・保護してくれています。

男子禁制です。モラハラ夫はもちろん、彼氏とかは入れませんよ。

 A寮は、不便な場所にある築50年の古くて広い母子寮。2DKでした。スタッフさんの雰囲気は良さそうでした。掃除当番などがあるようです。また、保育士さんがいて、病児保育をしてくれるそう!これはすごいありがたい。また、学習室や遊戯室があり、小学生は宿題とかさせてくれる時間があるようです。学童代わりですね。これもありがたい。ただいかんせん場所が不便!! 珍しく車の所持が認められていました。でも30世帯のうち1-2名しか車を持っていないようです。

 B寮は、便利な場所にあるけど、ものすごく狭くて

え・・・刑務所・・・・?)

って感じでした。なんか3階建てのワンルームマンションを買い取って改造したような変な建物でした。間取りはワンルーム以下。1部屋はなぜかキッチンと押し入れのコンクリート床スペース+たった4畳の畳床 という極狭ワンルームで構成されており、トイレとフロは個室内にありません。トイレとフロは共同。しかも風呂はコインシャワーで、10分100円だそうです。地獄かな???

ここの寮長はなんと20代後半の男性でした。わっか。すげーな。もうなんも言えん。

4畳の畳スペースにテレビを置いたらもう1人分しか寝るところありません。でも高校生の息子さんと住んでるママさんもいらっしゃるそうです…まあ…家賃無料には代えられないよな…!!

 

 母子寮は正式名称を母子生活支援施設といい、自立支援のための場所だそうです。永遠には住めない(もともと子供成人したら住めないけど)。

1年~数年ぐらいの滞在期間のかたが多いようです。お金貯める場所って感じかな。

役所の婦人相談員はモタモタしていて、入寮までの手続きは遅そうでした。

入寮審査としては、貯金額や車の有無、子供の年齢性別、持病などを申込書に書いて、その後健康診断を受けるんだそうです。

 

 書いてて思いましたが、ある程度の収入がない場合は、別居してすぐ定住っていうのは難しいものなのかもしれないですね。断捨離して身軽になっておくといいです。

 

4.マンスリーマンション と、5.賃貸を探す!!はまたいずれまとめて書きます。では今日はこのへんで。

毒親(母)の思い出⑤ 父は何をしていたか

もう一件、実家の思い出ーーー父について書きます。

 

父はいい人です。

たぶん被害者体質です。

 

感情としては、けっこう好きです。優しいし。

でも理性としては、「信頼せず、母の傀儡として扱わねば」と思うようにしています。

 

秀才タイプで、仕事もきちんとしています。たぶんストレス溜めてると思います。

子供には優しいです。

責任感が強くて親の面倒も見ていたし、出戻りの私や、できの悪すぎる愚弟を心配して色々しています。

 

でも、母に逆らえない。

母に詰問されるとなんでも喋ってしまいます。(まあこれは、私もそうだったからわかるw)

母は、父には私ほどのモラハラをしていません。男を見ると自動的にブリッコする体質も関係あるでしょうし、父の地位が大好きで、万が一でも離婚されたら困るのもあるでしょう。

 

父は、母の子供への虐待っぷりを知りません。また、知ろうとしません。

メソッド前、私はよく泣きながら一生懸命訴えましたが、あまり重大に受け取ってくれませんでした。

また、弟にDVされ、性的嫌がらせを繰り返し受けたときも、ただの兄弟げんかと思っていたようです。

泣きながら訴えたら「空手を習えばいいっしょ」

と言われました。この時は本当に絶望しました。

 

私の妊娠中、父は、

「とにかく実家に戻ってこい、母さんが世話をしてくれる」

などとのたまっていましたwww

母は虐待するし、弟はDVしてたんだよ!?無理だよ!!と泣きながら訴えましたが、父は理解していないようでした。

 

そこで、出産間際の私は、父に対しても一計を案じました。

(産後に母が来て暴れたら困るからです)

母のマネをして、罵倒電話をかけてみることにしたのです。

だって、今までどんなに泣いて真面目に訴えても、効果がなかったんだから。

方針を変えるしかありません。

父が、とにかく母を差し向けないようにするにはどうしたらいいか?

父が苦手なものはなにか?

と考えると、モラハラ母のあの迫力しか思い浮かびませんでした。

それほど出産前の私は追い詰められていました。

 

言う事を決めてないと泣いてしまったりするので台本を用意しw、

狂ったように笑いながら、罵倒しました。

「今までコッチが世話してやってたんだよwwwwお前の妻の感情を!!!

殴るける性的嫌がらせを受けてたんだよ!お前の息子によ!!!!!!」(要約)

そして性的嫌がらせを受けた気持ちを分かってもらうために、

本当に嫌でしたが、下ネタで罵倒しました。

その内容は…とてもここには書けませんwwwwwww

絶対娘に言われたくない内容ですwwww

 

父は娘が狂ったと思うのか、これ以降、

母を差し向けないようになり、母がいても平気かと気を遣ってくれるようになりました。

父コントロール作戦、やっと大成功。

 

このように、モラハラ人間を含む人間関係では、

いい人に対しても何らかの戦略的な扱いが必要です。

昔の私は、「とにかく真面目に誠実に訴えれば分かってくれる」と思っていました。

でも、相手の状況によってはそうはならない事を学びました。

モラハラ人間もそうだし、いい人ですらそうなんだ、と。

人を動かすには、その人に合った戦略が必要なんだ、と。

 

いや、そんな戦略を使わなきゃいけない家族ってナニwwwwとは思いますがw

とにかく現実がそうなんだから仕方がない。

Joeさんの言う「ありのままの現実を見つめ、奇跡を計画する」ってこれですね。

父にこの電話をかけたときの私はJoeメソッドを知りませんでしたが、GJでした。

 

 

 

私が結婚してから母のモラハラが外に向かい親戚中にバトルをしかけるようになり、少しは父も母の本性を思い知ったようですが、

それでも全貌を父は分かっていません。

先日、「母が罵倒電話をかけて、叔母さんを呼び捨てにしたらしいよw」と教えてあげたら

父は「えっ、ウソ…」と言ったきり絶句していました。

私の方こそ、えっ…だよwww

 

そして今現在は、母のモラハラエネルギーの何割かは父に向かっています。

毎日家事をさせられてヘトヘトだそうです。

今でも父の事は好きです。

でも、もし父が、母が嫌いで困ってると言ってくれればJoeメソを勧めますが、

そう言わないので放置です。(これが無関心力)

 

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私が離婚を決めた要因のひとつに、この父の姿があります。

たぶん父は、離婚したいときもあったでしょうが、子供のためにガマンしたこともあったと思います。

でも、子供から見ると、被害者親も「頼りにならない、敵の味方」となってしまうんですね。

パートナーからモラハラを受けてるのに。

時には子供をかばっているのに、です。

 

モラオと暮らし続け、モラハラをガマンした上に子供にこんなふうに思われるのは嫌でした。

毒親(母)の思い出③ 成人後

パート3です。あんまり面白くないかも。

 

母が勝手に決めたw国立大に行くには成績が足りず、母の希望する私大に行きました。

私個人としては、高校は出ておきたかったですが、別に大学はどうでもよかったです。(って言うと贅沢ですね…)

全然ちがうことがやりたかったので。

母が学歴コンプレックスで大学行かなかったら死ぬみたいな感覚はずっとあったので、とにかくこれで母がおとなしくなるならと思いました(って言うと叩かれそうw

その女子大は老舗で、母が若い頃はとても偏差値が高く憧れのお嬢様校だったらしいのですが、私の時代には女子大不人気で偏差値がほどよく下がっておりました(笑)ラッキーでした。

 

ここで、母のいい所のご紹介です。母はお金のことがものすごく上手です。モラハラとは別の、生まれつきの才能ですね。

教育費はけっこうかかっていますが、父の給料も平成の古き良き時代でまあまああり、

それを母がカブやらなんやらで上手く運用しており。

母唯一のいい所です。あ…あと顔かな。(しかし私には遺伝してないww)

 

大学は遠方だったので大学寮に入り、毒実家と離れてのびのびと過ごしました。

成人前には反抗期特有のイライラもおさまり、今までずっと母のことが嫌いだったのは反抗期のせいかな?なんて思っていました。

あと18歳過ぎれば普通に仕事できるので、親がひどくても本当にいざとなればバックレられるじゃん!と気づき、小学~高校まであった死にたい気持ちはなくなりました。

 

しかし 甘かった…

 

大学4年、やっとのことで就職を決めます。(超氷河期でした)

母は、「あんなっ!! 給料の安いところ!!」と猛反対。

まあ高くはありませんがひどく安くもないところです。住居手当も残業代もあるし東証上場してるし。

でもとにかくブランド至上主義の母ですから、超有名企業にでも就職できると思ってたんでしょう。

アホww世間知らずwww(※なお数年後、愚弟が就活に大失敗し3年も就職浪人wこれでやっと世間の厳しさに気付いた模様www)

 

そもそも、うちの母は、娘には働いてほしくないタイプだったようです。

 母がお金を出して家に縛りつけ、虐待の続きをしたかったんですね。

娘の給料をすべて吸い上げて家に縛り付けるタイプの毒親は非常によくいますが、私は学生時代のバイト代も一切吸い上げられたことがありません。

やや珍しいケースかもしれません。

 

私は金銭感覚については、虐待子にしては珍しく守銭奴なのかもしれません(普通なだけ?w)

金の切れ目が縁の切れ目☆彡がモットーです。お金を吸い上げられていたら私は逃げてたと思います。

なお現在、実家暮らしの愚弟は給料全部吸い上げられています。

 

話を戻しましょう、母は大学卒業を控えた私を大学院に入れようとします。(アホの極み)

文系なので大学院なんか行ったら詰みです。就職はありません。

でも実は私・・・研究がけっこう好きで、興味があったので、大学院に行ってしまいました(^^;)

就職が厳しいことは分かってましたが…これ私の生まれつきの性格だと思うんですが、

どうにも楽天的なんですよね。どうにでもな~れ☆って変な道選んじゃうタイプです…

 

で、大学院に入学すると同時に実家に住むことになった私は…

ものすごいモラハラDVを受けまくります。

・容姿disモラハラ

これは前から継続のやつ。くさい・汚い・みすぼらしい。

いやらしい顔で毎日言われると、地味にダメージ蓄積されます。

 

・家事モラハラ

 毎日の食事を作らされた上、マズイ遅いなど文句をめちゃくちゃ言われる等

 掃除はさせるだけさせて、キタナイ!!!!の連呼

 

・犬モラハラ

 愚弟の希望で突然イヌを飼う。世話は反対した私が全て押しつけられる。

 

 私は朝7時前に起きて30分犬の散歩をし、犬の餌(手作り)と家族の夕飯を作り、

 洗濯や掃除をすませ、へとへとになって朝9時に家を出て通学。

 講義が終わっても家に帰らず(母の罵倒モラ、弟のDVが待ってるのでw)。

 幸いほぼ独り占めみたいな研究室があったので、夜11時まで研究や趣味をやり、

 終電で夜12時に帰宅し、フロ・寝る

 

という生活をしてました。ブラック企業かwww

早く帰ると弟が大声とともに飛び出してきて、「出ていけええええ!!」と追いまわされるんですよね。。。。

 

・出ていけ攻撃

 数々の家事モラハラに言い返すと定番の出ていけです

 

・母のプレゼント→取り上げ攻撃

 ショッピング好きの母。自分の買い物ついでに、ミセス売り場で私の服も買い、プレゼントしてくれるのが趣味でした。しかし・・・

 20過ぎなのに、50歳ミセス向けブランドの服をもらってもねえ・・・。

断っても上機嫌で毎回押し付けてきます。そして、私がそれらをたたんでおいておくと

「大切にしてないぃぃぃぃ!!!返せえぇぇぇぇぇ!!!」

と逆上して目をむいて大声で暴れ、取り上げます。

ここまでがひとつの流れです。

 

・愚弟のDV化(これは別記事でそのうちまた書きます

 愚弟、今思うともともとモラハラだったのですが、成人を迎えパワーアップ!!

 殴るける、大声を出して追いかける、私がトイレに入っていると大声で扉を叩く、後ろをつきまとう、食事の際は横に立って溜息をつく、大声で騒ぎ私を家から追い出す、この家を出ていけ!!と言う、そして極めつけは性的嫌がらせ。

 

大変でした。

特に愚弟のDVには耐えかね、私はナイショで準備してアパートを借り、家を出ることにします。

 

出ていく前日、母に「明日出ていくから」と言います。

母は私が生まれてから昨日までずっと「出ていけ!!!!」と言っていたのに、

「何を言ってるんだ!!!」と鬼の形相で振り返りました。

冷静に「いや、ずっと出て行けって言ってたでしょ」と返すと

 

「・・・それはっ!!!」

 

と言ったきり、黙って鬼の形相でブルブル震えてましたwwwwwww

それは、なんだったんでしょうねぇw

ちょっとスカッとした瞬間でした。(笑)

 

というわけで実家脱出。

続きはまた後日。

 

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こんなにワルイ子だった毒母も、Joeメソッドでだいぶいい子になりました。

 

先日、逆転具合を確かめるために、父抜きで

母と私と子供 で出かけてきました。(父がいると母はぶりっこモードになるので)

母はイヤミのひとつも言いませんでした。よしよし。

あと、プティマインの子供服を買ってきました(人気で、メルカリでも高値で売れますw)。よしよし。

昔は何かくれても、後で絶対に「返せぇぇぇ!!」と言われましたが、今はそんな心配もなく、お礼も言いません。(笑)

毒親(母)の思い出② 思春期

毒親の思い出パート2です。

メソッドをしてから、嫌な思い出がフラバしないのでかなり忘れつつあり、「つらかったという記憶」はあるのですが、現時点での感情が生起しないんですよね。

例えるなら「マラソン大会きつかった記憶」はあるけど、「今は息も筋肉も苦しくない」っていうのに似ている気がします。

メソッド前はフラッシュバック=「現時点での感情」が生起してしまうのでつらかったです。

さて、中学からです。。

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【中学生時代】

・成績!成績!のしめつけが激しくなる

母は学歴コンプレックスの教育ママタイプだったので、とにかく成績が命でした。

文字通り。(笑)

今までの母のモラハラの賜物により、

「成績が悪くなったら死ぬ、生きていけない」というのが無意識に刷り込まれており、

意識上では「そんなはずない!」と思うのですが、とにかくこの恐怖感が成人までぬぐえませんでした。

母は、問題集や参考書をドッサリ買ってきて、毎日の量を決めました。w

そして隣に座って私が問題を解くのを横で監視し、

たとえば数式を途中でまちがえようものなら即「ちがーう!!」と机を叩きました。

解き終わるまで待てよwww

学校の宿題もやった上、母の課題量が多く、へとへとに疲れた私が「もういいよ…」とこぼすと母は

「ウワァァァアアアアアーーーーー!!!」と絶叫しながら問題集を真っ二つに引き裂きました。(笑)

怖くて逆らえませんでした。

私が入る高校と大学は既にこの時点で決められておりました。(笑)

マンガとかも、うっかり読んでるの見つかると即没収され捨てられたりしたなぁ。

 

あとふつうに反抗期が来て、ほんとーーに母親の事は嫌いでした。〇ね!っていう日記書きまくりでした。

でも、母からの支配や恐怖には抗えないんですよねえ…自己嫌悪でした。

このころも普通に死にたかったですが、やっぱり学校(友達)が楽しくて、もったいなくて死ねなかったです。

 

・成績が上がらないか、先生に聞いてこい!

というのもありました。

あの点数でこの成績はおかしい!っていう(笑) でも絶対自分は聞きにいかないんですよね(笑)小心者…

親が学校に来るモンスターペアレントとかいますが、モンペ以下でした(笑)

いや、学校に来られても困るけど。

あと、美術とかテストがない実技系の科目はどうしようもないので、

「自主レポートを書いて先生に出せ!!!」という驚きのゴマスリ作戦をやらされました。

日曜に母に美術館に連れていかれ、感想を書かせ、美術の先生に出すという驚愕のレポートです。

美術自体は好きなのに、もう母のコレがすごい嫌でした。

 

・お前は汚い!と洗濯をしてくれなくなる

小6ぐらいから、「私の洗濯物はキタナイ」扱いが始まりました。

中学に上がると同時に、お前の洗濯物はキタナイ!自分で洗え!と言われ、

罵倒されながら洗濯機の使い方を教わり、私だけ別扱いが始まりました。

 

母は私の第二次性徴が気に入らないんだなあ、というのは伝わってきました。

初潮がきたときも、母が怒るのが怖くて、とりあえずコッソリ母の生理用品をくすねて使ってました。学校教育に感謝(笑)

母に言ったのは3か月目ぐらいからです。(笑)

母は赤飯を炊きましたが、3日ぐらい無視で口をきいてくれませんでした。

ブラジャーも買ってもらえなかったですね。

幸いお小遣いはくれたので、高校からは小遣いで下着を買い、下着貧乏でした(笑)

毒親漫画『母がしんどい』の作者は、仕方ないので母のブラジャーをこっそり拝借して使ってたと書いてましたねwww

娘の女性性を否定するモラハラは、毒母あるあるですね。髪の毛を男みたいな短髪にされてた人とかもいますよね…

彼氏も許されないだろうなっていう予感はヒシヒシありました。

 

そんな母のモラハラに苦しんでいた私ですが、

中学の途中で弟が難病(1~2年後に死ぬ)を発症し、入院生活に。両親は交代で病院に泊まり込むという看病生活が2年ほど続くことになります。

弟のことは心配でしたが、母のモラハラが減り、私はハッピーでした。

(なお弟は運よく移植を受けて治り、のちDV男になり、今も生きてます)

 

【高校時代】

母の指定するトップ高校には、内申点が足りず入れませんでした。(笑)

ランク的にはその1つ下の公立高校に入りましたが、母は気に入らず、高校に通う私にモラモラしまくりの3年間でした。

・弁当を作る私に文句を言う

私の高校生活は朝6時に1人で起きて自分の弁当を作り、7時に家を出るというものだったのですが、

その弁当を作る音がうるさい!!!!!

遠い高校に行きやがって!!!

とよく苦情を受けておりました。母は寝てたのでw

今思うと、JKが1人で早起きして自分で弁当作ってるなんて偉いと思うんですけどねぇ。

周りの、普通のお母さんがお弁当作ってくれる子がちょっと羨ましかったです。

半面、そういう子たちがお米もとげないのを見てちょっとだけ優越感でした(笑)

 

毒母には、家事をさせてモラをする親と、そうでない親(娘に絶対家事をさせず、無能だとdisるタイプ)がいますが、

早めに家事を覚えられたのは不幸中の幸いでした。

 

なお後年、同じ高校に弟が入りましたが、母が弁当作ってました。(笑)

そして

「弟ちゃんは早起きしてエライっ!!お前も見習え!!」

という目玉ポーンなモラハラ発言を繰り返してました。(笑)

弟は当然、私と違って個別洗濯もさせられませんでした。(笑)

 

・高校の制服が高いと言う

 しらんわ お前が進学させたいんだろ

 

・「お前は臭い、汚い」など容姿をdisる

ここまで来ると普通のイジメですねwwwwww

私もババアになってから気づいたんですがw、若い女の子って、けっこう強い香り(体臭、花みたいないい匂いだけど)がしますよね。

くさい!!香水つけてるだろう!!」と母によく言いがかりをつけられました。

あと、このころから

「髪の毛が汚らしい!!!!!」というモラが始まりました。

メソッドで逆転するまで続きましたw

「みんな、髪の毛キタナイって言うだろう!?」と言ってくるので、

「誰も言わないよ…」と返すと

「いいやそんなことはない!!皆思ってるけど言わないだけなんだ!!

私は親だから教えてやってるんだ!!!

感謝しろ!!!!!!!」

とわめくんです。

今思うと 悪口を言ったことに感謝しろとは…(笑) 要求水準たけぇwww

ムチャクチャですね。

服も、「その服変だ!みすぼらしい!」とよく言われましたねぇ。。。

 

 

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毒親が子供に高い水準のステータスを求める背景には、

モラハラの「身内の手柄=自分の手柄」という性質があります。

モラハラは、自分とターゲットが一心同体なので、ターゲットが手柄をあげると、自分のもののように感じられるんですね。

うちのは高学歴を求めるタイプでしたが、卓球の愛ちゃんの親とか、息子を甲子園教育する野球オヤジとか、同様ですね。

まあ、「子供を高校に行かせないモラ!」という毒親もこの世にはけっこういるので、高校出れたことは良かったです。

ラッキーでした(感謝じゃないんかいww

 

ただ私は特に勉強好きでもなかったし、進路としては他にやりたいことがあったので、

あー、今だったらキョトン顔とあぁ…と冷たい態度で全部なんとかできたのになぁ、と思いますwwww

毒親(母)の思い出① 子供時代

いつも「オラオラ!!メソッドじゃどやァ!!」みたいな記事しか書いてないので、

たまにはモラハラの思い出でも徒然とつづってみます。

今回は毒親の思い出ってことで。過去記事と重複するとこあるかも。

 

母が毒親でした。父は空気。

 

【幼稚園の頃】

・遊ぶ友達を指定してくる

「Hちゃんとは遊ぶな!!あそこの母親はおかしい!!」

「Aちゃん(モラ)と遊べ!!」

幼稚園が終わった後に遊ぶ友達に口出しされてました。

私はおとなしく常識的なHちゃんと遊びたかったのですが、母が怒るのでやめたりした記憶があります。

今思うとHちゃんのお母さんは無視系受身系モラでした。おうちに遊びに行って挨拶しても何も返事しないんですよねw  幼稚園でも無視モラを発揮しまくっていたようなので、母(同じモラだけどw)は腹を立てていたのでしょう。

母が推奨してくるMちゃんは、まーーーガキ大将?的なモラでした。

遊ぶたびに、ムチャを言われて私はしょっちゅう泣いてました。

おままごとの役をいつまでも交換してくれなかったりみたいな感じですね。

Mちゃんのお母さんとうちの母が仲良かったのでね。

 

・幼稚園の先生の悪口を私に言う

母は園長先生が気に入らず、私に悪口をふきこんでました。

私は園長先生は好きだった(子供たちに人気あった)ので、とても困りました。

 

・私がいじめられても対応してくれない

私、同級生のアホ系男児にいじめられやすかったです。

男児3人に「わー!!〇〇だー!!」って追いかけられたり。

今思うと、あいつらも全員モラですね(笑) 彼らとは特に仲良くもなんともなかったわけですが、被害者体質を嗅ぎ取っていじめてくるんですよね。

母に泣きついても特に何もしてくれませんでした。毒親あるあるw

 

【小学生の頃】

とっても仲のいい友達ができたのですが、幸い彼女との交友は母に禁止されませんでした。ホッ。運がよかったです。

・周りの大人の悪口を私に言う

ご近所のおばさん、友達のお母さん、親戚、さらには私の知らない母の知人の悪口まで

茶飲み話としてよく聞かされました。(笑)

ご近所のおばさんは、今思うとモラだったんだろうなって人が多いです。

うちの母もモラなんですが、外では超小心者なので、より強いモラにモラハラを受けるんですね。(笑)

また、うちの母は学歴コンプレックスがすごく、学歴や離婚歴の話も多かったです。

「母のイトコの〇〇なんかね離婚してるんだよ!!」(会ったことない)

「叔父さんなんか××大だ!!」(大学のランクなんてわからない

「パパの同僚の△さんの奥さんなんかねっ!中卒だよ!?!」(会ったことない

と、毎日のように誰かの経歴をdisってました。

私は「誰一人としてウチに迷惑かけてくるわけでもないのに、

どうしてこんなに怒って悪口言ってるんだろう・・・」

ととても不思議でした。笑

30年後に明らかになるのですが、母は某国立大学の受験に失敗して非常に悔しい思いをし、滑り止めで入った大学も、卒業まぎわに中退したらしいですwww

ちゃんと祖父母に学費を出してもらってるし、あと半年という所で理由も言わず退学したとか。理由は誰も知りません。

まあそれでも本人は悔しくて、それが「〇〇さんなんかっ!」っていう言い出しになるんでしょうね。

 

・母の好きな呪文「お前なんか可愛くない!出ていけ!!!」

何か気に入らない事があったり、私が母の悪口に同意しなかったりすると

この呪文を唱えられました。たいてい夜だったりするので、困り果てました。

「お友達の家に泊まりに行こうか… 

 養子にしてもらえないだろうか…

 まあ…ムリだよなあ…」

と真剣に悩んでいた記憶があります。

呪文「お前なんか可愛くない!弟の方がずっと可愛い!」もよく言われて傷ついておりました。

ただ、母の前で泣くともっと悪い事態になるような予感がして、その場では泣くのをガマンし黙っていて、あとで母に隠れて泣いていました。

とにかく母の機嫌がコロコロ変わっていつ罵倒し始めるか分からないので、

小3ぐらいからは帰宅時間になるとぼんやり自殺を考えていました。

母の評価、罵倒、この先の人生がどうなってしまうのか、とても怖かったです。

幸い友人に恵まれて遊ぶのがとても楽しかったので、その楽しみを手放すのが嫌で具体的な行動には出ませんでした。

 

また、母は機嫌のいい時は「私はあなたたち子供が宝物なの!」と最高の笑顔で言っていましたww

私は(そうかぁ…)と(そうなのかなぁ…?)という2つの思いの間でいつも揺れていました。

弟がリコンという言葉をある時覚えてきて、母に聞いたことがあります。

母はんもうニッコニコで「パパとママが離婚したら、どっちについてくー?」と聞いてきました。

弟(モラ)は「ママ―!」と即答www

私は(どう考えても父だけど…ここで言ったら荒れるな…)と思い「わからない」と答えました。(笑)

それからは、離婚してくれないかなあ…そしたら毎日ビクビクしないで、おとなしい父と平和に暮らせるのに…ともぼんやり考えていました。

 

・「小公女」を読み、やっぱり母はオカシイと気づく

母は教育ママタイプで、本を読めっ!ととにかく課題図書が多かったです。

私は幸い陰キャだったので本は嫌いではありませんでしたが・・・

ある日、「小公女」を読まされました。

私は衝撃を受けました。作中に出てくる悪役、

「ミンチン先生」に母が激似なのです。

ミンチン先生は、主人公セーラが入る全寮制学校の教員。

セーラが金持ちの間は、媚びへつらいお嬢様スバラシイ!ってほめそやします。

しかしセーラの父が亡くなり、セーラが親なしの無一文になると鬼に豹変し、

セーラを使用人としてこき使い、モラハラをしまくります。(まあ外にほっぽり出さないのはセーラにとって幸運でしょうけども)

面白いのは、セーラの父の隠し遺産?が判明し、父の知人がセーラをちゃんと相続人として扱ってくれ、セーラが大復活した後、

ミンチン先生が何の恥じらいもなく、元の媚びへつらい人格に戻るところです。

そんなミンチン先生のモラハラ、そして二重人格っぷりがあまりにも母と似ていて、

私は「お母さんにそっくりだ・・・やっぱり変なんだ・・・」

と衝撃と絶望を味わいました。

 

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まあ、タイプの違いこそあれ、どこの毒親も大体やることは似通ってるので、

こういう日記は読んで下さる皆様におかれましても特に面白くはないかと思います。

毒親被害ブログなんていっぱいあるし。。。

 

こんなうちの毒親ですが、Joeメソッド後はとぉーーーーってもいい子です。

ずっと「上機嫌モード」で接してくる感じですね。

たまにお試しモラしてくるけど撃退は楽です。

ぜひぜひ。