毒親、モラハラDV夫を退治するブログ

毒親育ち、モラハラDV夫もちの30代女性が逆転するまで  twitter: lk_lemonk

毒親(母)の思い出② 思春期

毒親の思い出パート2です。

メソッドをしてから、嫌な思い出がフラバしないのでかなり忘れつつあり、「つらかったという記憶」はあるのですが、現時点での感情が生起しないんですよね。

例えるなら「マラソン大会きつかった記憶」はあるけど、「今は息も筋肉も苦しくない」っていうのに似ている気がします。

メソッド前はフラッシュバック=「現時点での感情」が生起してしまうのでつらかったです。

さて、中学からです。。

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【中学生時代】

・成績!成績!のしめつけが激しくなる

母は学歴コンプレックスの教育ママタイプだったので、とにかく成績が命でした。

文字通り。(笑)

今までの母のモラハラの賜物により、

「成績が悪くなったら死ぬ、生きていけない」というのが無意識に刷り込まれており、

意識上では「そんなはずない!」と思うのですが、とにかくこの恐怖感が成人までぬぐえませんでした。

母は、問題集や参考書をドッサリ買ってきて、毎日の量を決めました。w

そして隣に座って私が問題を解くのを横で監視し、

たとえば数式を途中でまちがえようものなら即「ちがーう!!」と机を叩きました。

解き終わるまで待てよwww

学校の宿題もやった上、母の課題量が多く、へとへとに疲れた私が「もういいよ…」とこぼすと母は

「ウワァァァアアアアアーーーーー!!!」と絶叫しながら問題集を真っ二つに引き裂きました。(笑)

怖くて逆らえませんでした。

私が入る高校と大学は既にこの時点で決められておりました。(笑)

マンガとかも、うっかり読んでるの見つかると即没収され捨てられたりしたなぁ。

 

あとふつうに反抗期が来て、ほんとーーに母親の事は嫌いでした。〇ね!っていう日記書きまくりでした。

でも、母からの支配や恐怖には抗えないんですよねえ…自己嫌悪でした。

このころも普通に死にたかったですが、やっぱり学校(友達)が楽しくて、もったいなくて死ねなかったです。

 

・成績が上がらないか、先生に聞いてこい!

というのもありました。

あの点数でこの成績はおかしい!っていう(笑) でも絶対自分は聞きにいかないんですよね(笑)小心者…

親が学校に来るモンスターペアレントとかいますが、モンペ以下でした(笑)

いや、学校に来られても困るけど。

あと、美術とかテストがない実技系の科目はどうしようもないので、

「自主レポートを書いて先生に出せ!!!」という驚きのゴマスリ作戦をやらされました。

日曜に母に美術館に連れていかれ、感想を書かせ、美術の先生に出すという驚愕のレポートです。

美術自体は好きなのに、もう母のコレがすごい嫌でした。

 

・お前は汚い!と洗濯をしてくれなくなる

小6ぐらいから、「私の洗濯物はキタナイ」扱いが始まりました。

中学に上がると同時に、お前の洗濯物はキタナイ!自分で洗え!と言われ、

罵倒されながら洗濯機の使い方を教わり、私だけ別扱いが始まりました。

 

母は私の第二次性徴が気に入らないんだなあ、というのは伝わってきました。

初潮がきたときも、母が怒るのが怖くて、とりあえずコッソリ母の生理用品をくすねて使ってました。学校教育に感謝(笑)

母に言ったのは3か月目ぐらいからです。(笑)

母は赤飯を炊きましたが、3日ぐらい無視で口をきいてくれませんでした。

ブラジャーも買ってもらえなかったですね。

幸いお小遣いはくれたので、高校からは小遣いで下着を買い、下着貧乏でした(笑)

毒親漫画『母がしんどい』の作者は、仕方ないので母のブラジャーをこっそり拝借して使ってたと書いてましたねwww

娘の女性性を否定するモラハラは、毒母あるあるですね。髪の毛を男みたいな短髪にされてた人とかもいますよね…

彼氏も許されないだろうなっていう予感はヒシヒシありました。

 

そんな母のモラハラに苦しんでいた私ですが、

中学の途中で弟が難病(1~2年後に死ぬ)を発症し、入院生活に。両親は交代で病院に泊まり込むという看病生活が2年ほど続くことになります。

弟のことは心配でしたが、母のモラハラが減り、私はハッピーでした。

(なお弟は運よく移植を受けて治り、のちDV男になり、今も生きてます)

 

【高校時代】

母の指定するトップ高校には、内申点が足りず入れませんでした。(笑)

ランク的にはその1つ下の公立高校に入りましたが、母は気に入らず、高校に通う私にモラモラしまくりの3年間でした。

・弁当を作る私に文句を言う

私の高校生活は朝6時に1人で起きて自分の弁当を作り、7時に家を出るというものだったのですが、

その弁当を作る音がうるさい!!!!!

遠い高校に行きやがって!!!

とよく苦情を受けておりました。母は寝てたのでw

今思うと、JKが1人で早起きして自分で弁当作ってるなんて偉いと思うんですけどねぇ。

周りの、普通のお母さんがお弁当作ってくれる子がちょっと羨ましかったです。

半面、そういう子たちがお米もとげないのを見てちょっとだけ優越感でした(笑)

 

毒母には、家事をさせてモラをする親と、そうでない親(娘に絶対家事をさせず、無能だとdisるタイプ)がいますが、

早めに家事を覚えられたのは不幸中の幸いでした。

 

なお後年、同じ高校に弟が入りましたが、母が弁当作ってました。(笑)

そして

「弟ちゃんは早起きしてエライっ!!お前も見習え!!」

という目玉ポーンなモラハラ発言を繰り返してました。(笑)

弟は当然、私と違って個別洗濯もさせられませんでした。(笑)

 

・高校の制服が高いと言う

 しらんわ お前が進学させたいんだろ

 

・「お前は臭い、汚い」など容姿をdisる

ここまで来ると普通のイジメですねwwwwww

私もババアになってから気づいたんですがw、若い女の子って、けっこう強い香り(体臭、花みたいないい匂いだけど)がしますよね。

くさい!!香水つけてるだろう!!」と母によく言いがかりをつけられました。

あと、このころから

「髪の毛が汚らしい!!!!!」というモラが始まりました。

メソッドで逆転するまで続きましたw

「みんな、髪の毛キタナイって言うだろう!?」と言ってくるので、

「誰も言わないよ…」と返すと

「いいやそんなことはない!!皆思ってるけど言わないだけなんだ!!

私は親だから教えてやってるんだ!!!

感謝しろ!!!!!!!」

とわめくんです。

今思うと 悪口を言ったことに感謝しろとは…(笑) 要求水準たけぇwww

ムチャクチャですね。

服も、「その服変だ!みすぼらしい!」とよく言われましたねぇ。。。

 

 

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毒親が子供に高い水準のステータスを求める背景には、

モラハラの「身内の手柄=自分の手柄」という性質があります。

モラハラは、自分とターゲットが一心同体なので、ターゲットが手柄をあげると、自分のもののように感じられるんですね。

うちのは高学歴を求めるタイプでしたが、卓球の愛ちゃんの親とか、息子を甲子園教育する野球オヤジとか、同様ですね。

まあ、「子供を高校に行かせないモラ!」という毒親もこの世にはけっこういるので、高校出れたことは良かったです。

ラッキーでした(感謝じゃないんかいww

 

ただ私は特に勉強好きでもなかったし、進路としては他にやりたいことがあったので、

あー、今だったらキョトン顔とあぁ…と冷たい態度で全部なんとかできたのになぁ、と思いますwwww